2011年11月8日火曜日

ビッグムーン

なんだか生暖かい日が続いていました。
今日からはすこし寒くなるとのこと。やっと秋らしくなるみたいです。外苑前の銀杏が色づくのが楽しみです。
先日、ラジオを聞いていたら、大月市のことを取り上げていました。落語家の三遊亭小遊三さんの出身地として有名です。昔、小遊三さんにインタビューしたことがあります。とても気さくな方で、テレビで見るとおりの方でした。
大月というのは、ビッグムーンと書きます。月が大きく見えるというのは、改めていい名前だなと感心しました。秋分の日には月が大きく見えるとか。大月にはどんないわれがあるのか、気になります。
地球から月と太陽を見たとき、同じ大きさに見える、こんな奇跡が地球にはあります。本当に不思議です。
日本人は月を愛で、多くの歌を詠んできました。百人一首の中には星の歌はほとんどないのに、月の歌はけっこうあります。
 月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
大江千里の歌です。非常にわかりやすい歌ですね。
大江が見た月は、満月ではない気がしますね。欠けていく三日月かもしれません。
東京の空も節電で暗くなっては来ましたが、星はやはり見づらいです。
でも月だけはしっかり見ることができます。
昔の人は、大きな月にどんな気持ちを抱いていたのか。今夜は月でも見ながら、梅酒を飲むつもりです。

2011年11月2日水曜日

再び1カ月ぶり

先月、1か月ぶりでブログを更新したら、再び1か月ぶりになってしまいました。
情けない。と思いつつも、まあ、気楽に続けていきます。
先日、出張先のホテルで映画をみました。眠れないこともあって、なんと3本です。
映画に飢えていたという感じです。
「トゥルーブリッド」という西部劇と、ウディ・アレンを2本です。
「トゥルーブリッド」はコーエン兄弟の作品で、しかもリメイクとのこと。とてもいい話で、静かに感動できました。お勧め。
ウディ・アレンの2作は、「人生万歳!」と「夢と犯罪」です。
「人生万歳!」は40本目となる作品で、ニューヨークを舞台にしたもの。「夢と犯罪」はロンドン三部作と呼ばれるものです。
ともどもとても楽しめました。お勧めです。
映画評など書く柄ではないので、内容にふれません。ただ、両方の映画を見て、ウディ・アレンの次回作は日本を舞台にするかも。そんな予感がしました。
ちなみにロンドン三部作と呼ばれる中の1本、「マッチポイント」は超お勧めです。
次回は2週間ぶりくらいに更新したいと思います。

2011年10月5日水曜日

1カ月ぶり

前回のブログを書いてからもう1カ月。なんとも時間の経つのが早いこと。
短歌や俳句のことを書こうと思って再開して、1か月で挫折するとは、われながら情けない限りです。でも、気軽に復活できるのも、ブログのいいところですね。間があいても続けること、と言い聞かせ、がんばります。
先日、「エンディングノート」という映画を見ました。ガン宣告を受けた父親を監督である娘がフィルムに収めたドキュメンタリーです。
父親の独白という形式で話は進んでいきますが、父親の声を監督でもある娘さんが担当しています。そのユーモアあふれるフレーズや語り口に、死という現実を見せられながらも、「笑い」という救いがありました。
ただ、60代の息子の死を90歳を過ぎた母親が知るというシーンがあり、長生きすると、子供の死に遭遇するという悲しみにも出会うことになるのだ、と考えさせられました。

歌の話をすこしします。
百人一首の選者はご存じのとおり、藤原定家です。百人一首の中には父親の俊成の歌もあります。この俊成、91歳まで生きた人で、息子である定家が先に亡くなったかと思い調べてみると、定家は俊成が39歳の子供で、定家の死に遭遇するという悲しみは経験せずに済んでいました。
ちなみに俊成の百人一首の歌は
世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも鹿ぞなくなる
じつは俊成は他の歌にしてほしかったようです。
「人生はつらいことが多い」と詠んだ俊成ですが、ほかの歌にしてほしいという気持ちもわかりますね。

2011年9月7日水曜日

雨の歌

このたびの大雨、これも異常気象というべきなのだろう。
でも異常気象という言葉を、思いついたことで、なんだかそれですべてを片付けてしまい、納得していていいのだろうか。
「異常気象だから仕方がないの」って感じである。
備えあれば憂いなし。今年は地震があったことで、とくに自然の脅威を感じてしまうわけだが、じつは毎年、私たちは自然の脅威を感じているはずである。
だから異常でもなんでもない。これが当たり前だと思って備えなければいけないのかもしれない。

百人一首の中にも雨の歌がある。
村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ
 にわか雨が通り過ぎていった。そのしずくも乾かぬうちに、もう杉やヒノキの葉に霧が立ち込めている。なんともさびしい秋の夕暮れである。

恋の歌が多い百人一首だが、このような歌も多い。
ちなみにこの「村雨」の札は、競技かるたの世界では有名な歌である。最初に覚える歌といってもいい。
なぜか? 「村雨」は「む」で始まる歌がこれしかないので、「む」と読まれればすぐに取ることができるのだ。
この歌を詠んだ寂蓮法師もまさか、かるた取りという遊びで自分の歌が有名になっているとは思ってもいないだろう。

2011年9月2日金曜日

台風

最近の天気はやはり、すこし変?って感じです。
自然ですから、想定するほうがおかしいのかもしれませんが、台風が北西に進むなんて。素直に北東へ来てほしいですよね。
でも、子供のころから、台風は意外と好きでした。

台風が来るということは秋になったということでしょう。
百人一首には、台風を詠んだ歌もあります。
嵐ふく三室の山のもみじ葉は 龍田の川の錦なりけり
 三室山のもみじは、はげしい嵐で散ってしまっただろう。でも川に落ちたもみじはきっと、錦の織物の見えるだろう。

嵐さえも美しい歌に詠んでしまう、平安人たちの余裕というか、優雅さに脱帽です。

ついでにもう一つ。
吹くからに秋の草木にしをるれば むべ山風をあらしというらむ
 山から風が吹くと、すぐに秋の草木はしおれてしまう。だから山と風と書いて嵐というのかな。

ダジャレ? 嵐と荒らしも掛けてあったりと、当時はことば遊びも娯楽の一つだったわけです。

台風は英語で言えばタイフーンというのも、妙におかしいですよね。しかもタイフーンやハリケーンの名前を女性名の相性にするところは、アメリカ人のセンスの良さにも脱帽です。
 

2011年8月31日水曜日

夏の歌

今日で8月も終わりです。
今年も泳ぎませんでした。というか、海にさえ行かずに夏が終わりました。
このまま死ぬまで泳ぐことはないのかな……なんだかとってもさみしい気持ちになります。

百人一首の中には夏を詠んだ歌があります。

夏の夜はまだ宵ながら開けぬるを雲のいづこに月宿るなむ
 夏の夜は短くて、まだ宵のうちと思っていたが、いつの間にか夜が明けてしまった。これでは月も沈むひまがないだろう。雲のどのあたりにかくれているのだろうか。

昔の人にとって、夏とは短いことの代名詞でした。テレビもラジオもない時代のこと、夜の時間はいろいろな想像をめぐらせてくれたことでしょう。仕事がら、夜中に仕事をすることが多いわけで、夜中にさまざまなアイデアがわいてきます。
これからどんどん日が短くなります。夏の日差しよりも、秋の夜長をたのしむ、そんな年齢になったんですね。

2011年8月30日火曜日

女流歌人

百人一首では多くの女性の歌が選ばれている。
まだ女性の地位が低かった時代に、女性たちが表現の場をもっていた日本は、世界の中にあっても奇跡の国だったといってもいい過ぎではないだろう。
ただ「儀同三司の母」「右大将道綱の母」と名前がない女性作者もいるところが、女性の地位の低さを感じてしまう。
先日、新聞に河野裕子さんという歌人が紹介されていた。2010年に残念ながら亡くなってしまわれたが、すばらしい歌が残っている。
「しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ」
「朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの」
母親だから、詠める歌なのだろうと本当に思う。
「たとへば君 ガサッと落葉すくやうに私をさらって行つてはくれぬか」
恋愛の気持ちもまた、心を打つ。
女流歌人のすばらしさ、力強さを感じてしまう。

先ほど紹介した右大将道綱の母の歌を紹介しておこう。
「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」
 今夜もあなたは来てくれないのを嘆きながら、ひとり夜が明けるのを待つ間が、どれだけ長いか、あなたは知っているかしら。
受け身な存在ゆえ、女性の歌には切なさがあるのかもしれない。

2011年8月27日土曜日

思い立ったら吉日

久し振りのブログです。
今日からというのに、特別な意味はありません。
思い立ったら吉日、ということで再開します。
ある人から、百人一首が趣味なら、そのことを書けばと、アドバイスをもらいました。
9月に「恋して百人一首」という中学生向けの小生の本が出ます。
そういうこともあって、百人一首の雑学を少しずつ書いていこうと思います。
百人一首の歌は、朝の状景を描いたものが多数あります。
「朝ぼらけ」などという表現も朝を表しているわけですが、なぜ朝の歌が多いのか。
当時、通い婚が主流でした。古代日本においては婚姻の基本は、男が女を見初めて女のもとに通う、あるいは女の家族が男を迎え入れるといったことを基調としていたわけです。つまり女を中心として婚姻が成立していたというわけ(今もあまり変わらない?)。
ということで、朝になって帰る男のことを歌に詠み、夕べこなかった男のことを歌に詠むというわけですね。
歴史は夜作られるということです。

やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな

 来てくれないとはじめからわかっていれば、ためらうことなく寝てしまったものを。来てくださるというから、ずっと起きて待っていました。とうとう西の山に月がかたむくまで。

 切ない女ごころを詠んだ歌。ということでしょうが、じつは自分の姉妹のところに通っていた男が来ないのを見て、姉(妹)が詠んだ歌なんです。「やっぱり来なかったわね」という余裕の歌?女はやっぱり怖い?かな。相手の男性は、美男子で陽気なモテ男でした。

2011年6月28日火曜日

手首の捻挫

久し振りのブログです。
じつは右手首を捻挫して、しばらくキーボードが打てない状態でした。とくに力が必要なわけでもないの、キーボードを打つと筋が痛くなってしまい、本当に人間の体は繊細だと改めて実感しました。
ブログを中断している間、おかげ様でいろいろ本を読むことができました。おいおい紹介していきます。また筋というか、腱というのか、痛くなってきました。まずは再開するということでお許しください。

2011年4月26日火曜日

原発の御霊

出版の寅です。
4月23日、作家の一条真也氏からチケットを頂いた「シャーマニズムの未来」という東京自由大学のシンポジウムに行ってきました。

そこでマンガ家の岡野玲子さんの発言を聞いて、椅子から落ちそうになるほどの衝撃を受けたのです。なんと彼女は、「原発の御霊にアクセス」し、さらに「それは男の子だった」と言われたのです。

原発の御霊?などという発想は、日本人しかできないんじゃないかな。自分自身を制御できない男の子と考えるだけで、なんだか原発がかわいそうになってきたから不思議です。

地球をガイアと言い換えたとき、生命体というイメージになります。原子をアトムと言い換えると、何かとてもいとしいものに思えてしまいました。
アトムの最終回は、自分自身が原子爆弾になって隕石につっこんでいきます。アトムは自分自身が有している怖さをまた知っていたわけで、原発の力が脅威的であり、それが脅威であるわけです。

原発の御霊という発想に圧倒されたイベントでした。

2011年4月22日金曜日

日本人はガラパゴス?

出版の寅です。

震災で苦しむ日本け、世界中から支援の輪が広がっています。
今、日本を一つにという動きも同時に進んできています。
日本は戦争という過去の不幸な出来事によって、ナショナリズムに対し過度なアレルギー反応があります。「一つになろう日本」という時に、それを危惧する声さえあります。

でも、自分が生まれた土地を愛することは当然ですし、それを国家という部分であえて論じる必要はありません。

前回、人間も動物ということを書きましたが、日本人は地勢から見ても特殊な進化を遂げてきたような気がします。それはガラパゴスやオーストラリアと同じではないでしょうか。日本人は特殊な民族だと言っても言い過ぎではないでしょう。それがアイデンティティであり、優劣の問題ではありません。

日本という国は、日出ずる国であり、文化の執着点でもあります。日本より、先に文化を伝えることはできません。広大な太平洋が広がっているからです。ゆえに文化が熟成されるのは当然ですし、食文化を取ってみても、日本という国のアレンジ力はすごいものがあります。

日本人の特殊性を自覚することも、国にを愛することではないでしょうか。
今回の震災を、世界の中の日本を考える、絶好な機会にすべきです。

2011年4月20日水曜日

人間は動物?

出版の寅です。
読売新聞に、三浦展が『平成幸福ノート』という本の書評で隣人祭りのことを書いていた。
「われわれ社会では、隣人と話しながら食事をするという機会さえ貴重なものになってしまったのだ」と三浦氏は、隣人祭りの活動について述べている。
 
隣人と話しながらの食事など、当の昔になくなっている。ぼく自身、55歳になるが、人生で一度も隣人と食事をしたことがない。今は家族団欒さえない時代ではないだろうか。
 
だが被災地の光景を見ていると、家族団欒があり、隣人たちの助け合いがある。
人間は動物である。動物にとって、もっと自然なことを私たちは忘れてしまったのではないだろうか。
文明社会の中で、家族という単位、隣人というつながりを不要にするような社会を作ってきたのではないだろうか。
隣人は退化寸前である。家族でさえあやしい。人間は動物だという謙虚さをもって、一人では生きていけないことを思い出さないと、人間はきっと殺しあって滅亡してしまうだろう。
 
 

2011年4月19日火曜日

もしドラの理由

出版の寅です。
命名してくれた一条真也氏から、いきなり「出版の寅」と言われても一般の読者には不親切だという貴重な指摘を受けました。
一条氏のハートフル・ブログでネーミングの理由を書いてくれているので紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20100216/1268958021
帽子をかぶる姿が、「男はつらいよ」の車寅次郎みたいでもあり、いろんな出版社に自由に出入りし、いろんな本を世に送り出すということなのです。
羊年生まれですから、「羊の革をかぶったオオカミならぬ、寅」というところです。

じつは、熱狂的タイガースファンでもあり、寅ならぬ、虎キチということもあり、気に入っています。

出版の寅の名に恥じぬように、いろいろな本を紹介していこうと思っています。

昨年「もしドラ」が大ベストセラーになりました。なぜそんなに売れたのか。
出版の寅としては、後付だろうが分析しないわけにはいきません。

一時、難しい話をマンガにするという出版が流行したことがあります(今もしていますが)。いわゆる「漫画化」という奴です。最近は、何とマンガを「小説化」するというのがはやっているのです。ノベライズというものです。
映画やドラマのノベライズはありましたが、マンガをノベライズするというのですから、これはどういうことでしょうか。
「もしドラ」はそうしたノベライズの手法に、マンガという要素(キャラと装丁)という味付けをした初めての本ではないでしょうか。単なるノベライズではなく、マンガのキャラが表紙になっていることで、手にとりやすくた。慣れ親しんできたマンガという要素を、いかに活字に取り込むか。これからの本づくりの大きな要素になってくると思う次第です。

マンガ化ではなく、いかに活字化するか。図解などという本がはやるのも、そのあたりに秘密があると思います。

2011年4月17日日曜日

富士宮の震災

出版の寅です。
実家のある富士宮市へ行ってきました。
ちょうど一か月前の3月15日に、富士宮市は震度6強に襲われました。幸いなことに、実家は花瓶やコップが割れている程度ですみましたが、兄が経営する工場では、一階の窓ガラスがすべて割れ、機械も止まったとのことでした。

タクシーの運転手に話を聞くと、ジャスコの大型ショッピングセンターではスプリンクラーが作動して商品が水につかり、やっと4月になって全面オープンしたとのこと。ガラスや壁などが壊れた家では工事が追いつかずまだビニールシートをかぶせているところも多々あるといいます。ブロック塀もずいぶん壊れたそうです。もし東日本大震災がなければ、きっと大きく報道されていたかもしれません。
あまりに身近に起こった震災の爪あとに改めて地震の脅威を感じた次第です。
日本中が多かれ少なかれ被災者です。ともに助け合う、その心しか復興の道はありません。

2011年4月15日金曜日

東電の志はどこへ

出版寅す。
木川田一隆。電力の安定供給を志として、実現した元東電の社長です。
戦後、電力会社は1社いいという考えに反対し、全国に9電力会社の設立を提案します。国鉄民営化のはるか前の戦後まもない1950年の11月のことです。競争こそ、活力を生むと考え方をすでにもったいたわけです。
さらに電源部門と配電部門の一体化は安定供給のために不可欠ということで、これも実現します。
まさに現在の電力供給の礎を作った人物といっていいでしょう。
それがいつの間にか、現在の東電の体たらくぶりはどうでしょうか。30年で寿命がきていた原発を使い続けていたわけで、人災といわれても仕方がないでしょう。

志と夢の違いを、一条真也氏は「志とは何代にもわたって継承されていくものとし、夢とは個人レベルのもの」だと教えてくれました。まさに同感です。東電は志はどこへいったのか。
原発の危険性を熟知している人間こそが、その対策をせねばならないはずです。

日本航空のパイロットはタクシーで通勤していたといいます。それには理由があって、安全のために操縦者もまた万全でなければならいと考えていたからです。ですから、操縦する前だけに許されていたといいます。それがだんだん形骸化し、いつの間にかその目的が忘れられ、ぜいたくな行為としてやり玉に上がってしまうなんて。

志を問い直すこと。戦後、荒廃した台地を見た日本人は決して忘れることがなかったはずです。

2011年4月14日木曜日

打ち上げ

出版の寅です。
昨晩は、昨年末からとりかかっていた仕事が終わり、その打ち上げをやりました。
授産品のカタログを、その仕事で出会った8人のメンバーで作成したわけですが、出会いあり、地震ありの3か月、ひとつのものを作り上げるという充実した時間でした。
授産品というのは、ハンディキャップをもつ人がちが、福祉施設で作っているもののことです。自主生産品という名前のほうが今は広まっているかもしれません。クッキーなどのお菓子類から、木工製品など、さまざまなものを手作りしています。
関心のある方は、都営地下鉄の駅のラックにも置いてあります。5か所という限られた場所ですが……。

消費することで復興を! 元気を出してやっていきましょう。

2011年4月13日水曜日

ホームページ始まる

出版の寅です。
本日、正確には昨晩からですが、小生のホームページがアップしました。
ブログが書き始めたときとは違うワクワク感がありますね。

どういう人の目にとまるのか、出会いが楽しみです。
http://www5.ocn.ne.jp/~utsumi

小生が心から尊敬する人物に作家の一条真也氏がいます。博覧強記な部分はもちろん、礼を重んじるその生き方がカッコいいわけで、彼が先日、ブログ執筆1000回を迎えました。小生も亀の歩みですが、1000回を目指してがんばる所存です。
内容はできるだけ、本の世界について書いていくつもりです。
引き続きよろしくお願いいたします。

出版寅さんというのは、一条真也氏の命名で、本当に気に入っています。
ちなみ一条真也は、「三つ揃えを着たジュークボックス」とでもいうのか、どんな歌でも歌えるという人物で、その点でも大いに尊敬しています。

2011年4月12日火曜日

一人DJ

出版の寅です。
マンガではまっているものを紹介しましたが、そのつながりでNHKFMの月曜日16時からのミュージックプラザの「昭和歌謡」を紹介します。つのだひろ氏がパーソナリティを務めていて、懐かしい昭和歌謡がバンバンかかります。
仕事をすべて片付けて、80分間(放送時間)に聞き入る。外出などの仕事はいれないという徹底ぶりです。

最近iPodのおかげで一人DJを楽しんいます。「今の気分に合うのはこの曲かな、などといいながら、曲を選び出してかえるわけです。この話を作家の関川夏央さんにしたら、「それを本にしろ」と言われました。まあ、ノウハウを構築しろという意味でしょうかね。iPodはすぐに曲を選び出せるという意味では画期的です。
昭和歌謡をため込んで、一人DJを充実させるつもりです。

2011年4月11日月曜日

宇宙兄弟

出版の寅です。
「僕はビートルズ」で紹介しましたが、「宇宙兄弟」という漫画にもはまっています。
私自身が次男であり、息子が二人いることなど、オトコ兄弟の気持ちがじつにリアルにわかって、共感するところが多いわけです。
内容も、NASAでの宇宙飛行士の訓練を調べたことがあることと、植松努さんというロケット研究者を原稿に書いたことがあったりと、とにかく物語の作り方のうまさに感心し、感動しています。
とくにパラシュートを開発する男たちの話は、植松さんに教えてもらったことに共通していて、きっと「宇宙兄弟」の作者は植松さんのエピソードを読んだと思う。それを物語に仕上げたところに、本当に感動しました。
植松さんに興味ある方は、ぜひ検索して調べてほしい。北海道の赤平という町でロケットをつくっている町工場の社長さんです。

2011年4月9日土曜日

東京出身者に期待

出版の寅です。
いよいよ知事選です。小生は東京都民ですから、都知事を選ぶわけです。
東京都というトップを直接選挙で選べる貴重な機会ゆえに真剣です。

今や東京都は田舎者(地方出身者ではなく、あえてここ言いたい)の集まりです。
じつはいいなと思っているタレントなどが、みんな東京生まれであることに気が付きました。
代表的なのが、なぎら憲壱に、さま~ずです。
がつがつしていないところが実に心地いい。
今回の原発問題でも、東京脱出みたいな話がありましたが、江戸っ子はどこへ行けばいいのか。三代東京に住んできた人間にはもう実家などというゆるいものはないわけです。

都知事選に話を戻すと、できれば宮崎の人でも、神奈川の人でもない、東京の人を選びたい。
放射能に汚染されそうになっても、逃げるところのない人に、私は東京の未来を託したいと思うわけです。

2011年4月8日金曜日

自分にできること

昨日はかわいい(見た目も)後輩というか、仕事仲間というか、飲み友達というか、キンギョ嬢と激論になりました。
「自分にできることをする」がテーマです。

キンギョ嬢いわく、自分が無理をしてまでやる必要はない。たしかにそうの通りです。
でも、一時話題になったタイガーマスク運動のように、匿名でする行為は、やはり自己満足ではないか。というのが小生の意見です。「できることをする」というのは、責任を回避していると。

たとえば、「やりたいことがあって、結果としてできることだけになった」というのと、はじめから「できることを精いっぱいしよう」と限界を決めてしまったのでは違うのではないか、ということです。結果は同じかもしれないけど、、そこには差があるような気がしてなりません。いかがですか。

目指すべき思いをまずもち、それを実現するためにがんばる。そんな生き方を目指します。

2011年4月7日木曜日

手塚治虫以前

出版寅です。
今、「僕はビートルズ」というマンガにはまっています。
小生はいわゆる小学館派と呼ばれるビッグコミックを創刊時から今でも読み続けています。でも今はモーニングを出版する講談社派になりつつあります。なぜなら「宇宙兄弟」と「僕はビートルズ」がモーニングに連載されているからです。「宇宙兄弟」も本当に面白い。
子どものころより、少年誌でもマガジン(講談社)より、サンデー(小学館)を愛してきました。途中、ジャンプ(集英社)やチャンピオン(秋田書店)に浮気をしたことはありますが……
いずれにせよ、マンガの力は未だ衰えず、です。音楽でワクワク感がなくなったことがテーマになっている(と思う)「僕はビートルズ」ですが、手塚治虫が日本に生まれなかったら、そんなマンガを誰か書いてくれ!

2011年4月6日水曜日

隣人祭り

出版の寅です。
「隣人の時代」(一条真也著・三五館)という本を読みました。
隣人というテーマをじつにわかりやすく、さまざまな角度から教えてくれる本でした。

著者の本には、いつも多くの著書や映画、絵画、音楽などの情報が満載されています。ゆえに読者は多くの疑似体験をさせてもらえるという喜びがあります。
本書の中でも、たくさんの情報が詰まっています。

しかも今は、そうした情報を、本でいえばアマゾンというツールで手軽に入手できるようになっています。じつにありがたい。

昨今、電子書籍の存在がクローズアップされています。どちらかといえば、映像や音楽を盛り込んだスタイルで本の価値を高めようとしている気がします。付加価値型と言ってもいいでしょう。
私は逆に、電子書籍の一つの形は「アマゾンに代わるもの」ではないかと思っています。手軽さです。今まで宅配便で運ばれていたものが、ダウンロードで手に入るというのが一つの形になるのではないでしょうか?

いずれにせよ、本ほど情報が詰まったものはありません。

2011年4月5日火曜日

記念日

出版寅さんと言います。
今日は息子の誕生日です。幸多かれとブログを解説した次第です。

西村淳さんが、ラジオで南極大陸からの帰り、シドニーで緑の色を見たときの感動を話されていました。

息子にどんな未来があるのかわかりません。ですが、アメリカ社会が描いたようなコードまみれの無機質な街ではなく、緑豊かな街であることを望みます。それが日本人が想像し、創造する未来の姿であると思います。

本を世の中に投げ込めば、そこには必ず波紋が起こります。その波紋の力を信じて、これから書き続けます。