2011年9月7日水曜日

雨の歌

このたびの大雨、これも異常気象というべきなのだろう。
でも異常気象という言葉を、思いついたことで、なんだかそれですべてを片付けてしまい、納得していていいのだろうか。
「異常気象だから仕方がないの」って感じである。
備えあれば憂いなし。今年は地震があったことで、とくに自然の脅威を感じてしまうわけだが、じつは毎年、私たちは自然の脅威を感じているはずである。
だから異常でもなんでもない。これが当たり前だと思って備えなければいけないのかもしれない。

百人一首の中にも雨の歌がある。
村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ
 にわか雨が通り過ぎていった。そのしずくも乾かぬうちに、もう杉やヒノキの葉に霧が立ち込めている。なんともさびしい秋の夕暮れである。

恋の歌が多い百人一首だが、このような歌も多い。
ちなみにこの「村雨」の札は、競技かるたの世界では有名な歌である。最初に覚える歌といってもいい。
なぜか? 「村雨」は「む」で始まる歌がこれしかないので、「む」と読まれればすぐに取ることができるのだ。
この歌を詠んだ寂蓮法師もまさか、かるた取りという遊びで自分の歌が有名になっているとは思ってもいないだろう。

2011年9月2日金曜日

台風

最近の天気はやはり、すこし変?って感じです。
自然ですから、想定するほうがおかしいのかもしれませんが、台風が北西に進むなんて。素直に北東へ来てほしいですよね。
でも、子供のころから、台風は意外と好きでした。

台風が来るということは秋になったということでしょう。
百人一首には、台風を詠んだ歌もあります。
嵐ふく三室の山のもみじ葉は 龍田の川の錦なりけり
 三室山のもみじは、はげしい嵐で散ってしまっただろう。でも川に落ちたもみじはきっと、錦の織物の見えるだろう。

嵐さえも美しい歌に詠んでしまう、平安人たちの余裕というか、優雅さに脱帽です。

ついでにもう一つ。
吹くからに秋の草木にしをるれば むべ山風をあらしというらむ
 山から風が吹くと、すぐに秋の草木はしおれてしまう。だから山と風と書いて嵐というのかな。

ダジャレ? 嵐と荒らしも掛けてあったりと、当時はことば遊びも娯楽の一つだったわけです。

台風は英語で言えばタイフーンというのも、妙におかしいですよね。しかもタイフーンやハリケーンの名前を女性名の相性にするところは、アメリカ人のセンスの良さにも脱帽です。