2011年10月5日水曜日

1カ月ぶり

前回のブログを書いてからもう1カ月。なんとも時間の経つのが早いこと。
短歌や俳句のことを書こうと思って再開して、1か月で挫折するとは、われながら情けない限りです。でも、気軽に復活できるのも、ブログのいいところですね。間があいても続けること、と言い聞かせ、がんばります。
先日、「エンディングノート」という映画を見ました。ガン宣告を受けた父親を監督である娘がフィルムに収めたドキュメンタリーです。
父親の独白という形式で話は進んでいきますが、父親の声を監督でもある娘さんが担当しています。そのユーモアあふれるフレーズや語り口に、死という現実を見せられながらも、「笑い」という救いがありました。
ただ、60代の息子の死を90歳を過ぎた母親が知るというシーンがあり、長生きすると、子供の死に遭遇するという悲しみにも出会うことになるのだ、と考えさせられました。

歌の話をすこしします。
百人一首の選者はご存じのとおり、藤原定家です。百人一首の中には父親の俊成の歌もあります。この俊成、91歳まで生きた人で、息子である定家が先に亡くなったかと思い調べてみると、定家は俊成が39歳の子供で、定家の死に遭遇するという悲しみは経験せずに済んでいました。
ちなみに俊成の百人一首の歌は
世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも鹿ぞなくなる
じつは俊成は他の歌にしてほしかったようです。
「人生はつらいことが多い」と詠んだ俊成ですが、ほかの歌にしてほしいという気持ちもわかりますね。