2011年11月8日火曜日

ビッグムーン

なんだか生暖かい日が続いていました。
今日からはすこし寒くなるとのこと。やっと秋らしくなるみたいです。外苑前の銀杏が色づくのが楽しみです。
先日、ラジオを聞いていたら、大月市のことを取り上げていました。落語家の三遊亭小遊三さんの出身地として有名です。昔、小遊三さんにインタビューしたことがあります。とても気さくな方で、テレビで見るとおりの方でした。
大月というのは、ビッグムーンと書きます。月が大きく見えるというのは、改めていい名前だなと感心しました。秋分の日には月が大きく見えるとか。大月にはどんないわれがあるのか、気になります。
地球から月と太陽を見たとき、同じ大きさに見える、こんな奇跡が地球にはあります。本当に不思議です。
日本人は月を愛で、多くの歌を詠んできました。百人一首の中には星の歌はほとんどないのに、月の歌はけっこうあります。
 月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
大江千里の歌です。非常にわかりやすい歌ですね。
大江が見た月は、満月ではない気がしますね。欠けていく三日月かもしれません。
東京の空も節電で暗くなっては来ましたが、星はやはり見づらいです。
でも月だけはしっかり見ることができます。
昔の人は、大きな月にどんな気持ちを抱いていたのか。今夜は月でも見ながら、梅酒を飲むつもりです。

2011年11月2日水曜日

再び1カ月ぶり

先月、1か月ぶりでブログを更新したら、再び1か月ぶりになってしまいました。
情けない。と思いつつも、まあ、気楽に続けていきます。
先日、出張先のホテルで映画をみました。眠れないこともあって、なんと3本です。
映画に飢えていたという感じです。
「トゥルーブリッド」という西部劇と、ウディ・アレンを2本です。
「トゥルーブリッド」はコーエン兄弟の作品で、しかもリメイクとのこと。とてもいい話で、静かに感動できました。お勧め。
ウディ・アレンの2作は、「人生万歳!」と「夢と犯罪」です。
「人生万歳!」は40本目となる作品で、ニューヨークを舞台にしたもの。「夢と犯罪」はロンドン三部作と呼ばれるものです。
ともどもとても楽しめました。お勧めです。
映画評など書く柄ではないので、内容にふれません。ただ、両方の映画を見て、ウディ・アレンの次回作は日本を舞台にするかも。そんな予感がしました。
ちなみにロンドン三部作と呼ばれる中の1本、「マッチポイント」は超お勧めです。
次回は2週間ぶりくらいに更新したいと思います。

2011年10月5日水曜日

1カ月ぶり

前回のブログを書いてからもう1カ月。なんとも時間の経つのが早いこと。
短歌や俳句のことを書こうと思って再開して、1か月で挫折するとは、われながら情けない限りです。でも、気軽に復活できるのも、ブログのいいところですね。間があいても続けること、と言い聞かせ、がんばります。
先日、「エンディングノート」という映画を見ました。ガン宣告を受けた父親を監督である娘がフィルムに収めたドキュメンタリーです。
父親の独白という形式で話は進んでいきますが、父親の声を監督でもある娘さんが担当しています。そのユーモアあふれるフレーズや語り口に、死という現実を見せられながらも、「笑い」という救いがありました。
ただ、60代の息子の死を90歳を過ぎた母親が知るというシーンがあり、長生きすると、子供の死に遭遇するという悲しみにも出会うことになるのだ、と考えさせられました。

歌の話をすこしします。
百人一首の選者はご存じのとおり、藤原定家です。百人一首の中には父親の俊成の歌もあります。この俊成、91歳まで生きた人で、息子である定家が先に亡くなったかと思い調べてみると、定家は俊成が39歳の子供で、定家の死に遭遇するという悲しみは経験せずに済んでいました。
ちなみに俊成の百人一首の歌は
世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも鹿ぞなくなる
じつは俊成は他の歌にしてほしかったようです。
「人生はつらいことが多い」と詠んだ俊成ですが、ほかの歌にしてほしいという気持ちもわかりますね。

2011年9月7日水曜日

雨の歌

このたびの大雨、これも異常気象というべきなのだろう。
でも異常気象という言葉を、思いついたことで、なんだかそれですべてを片付けてしまい、納得していていいのだろうか。
「異常気象だから仕方がないの」って感じである。
備えあれば憂いなし。今年は地震があったことで、とくに自然の脅威を感じてしまうわけだが、じつは毎年、私たちは自然の脅威を感じているはずである。
だから異常でもなんでもない。これが当たり前だと思って備えなければいけないのかもしれない。

百人一首の中にも雨の歌がある。
村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ
 にわか雨が通り過ぎていった。そのしずくも乾かぬうちに、もう杉やヒノキの葉に霧が立ち込めている。なんともさびしい秋の夕暮れである。

恋の歌が多い百人一首だが、このような歌も多い。
ちなみにこの「村雨」の札は、競技かるたの世界では有名な歌である。最初に覚える歌といってもいい。
なぜか? 「村雨」は「む」で始まる歌がこれしかないので、「む」と読まれればすぐに取ることができるのだ。
この歌を詠んだ寂蓮法師もまさか、かるた取りという遊びで自分の歌が有名になっているとは思ってもいないだろう。

2011年9月2日金曜日

台風

最近の天気はやはり、すこし変?って感じです。
自然ですから、想定するほうがおかしいのかもしれませんが、台風が北西に進むなんて。素直に北東へ来てほしいですよね。
でも、子供のころから、台風は意外と好きでした。

台風が来るということは秋になったということでしょう。
百人一首には、台風を詠んだ歌もあります。
嵐ふく三室の山のもみじ葉は 龍田の川の錦なりけり
 三室山のもみじは、はげしい嵐で散ってしまっただろう。でも川に落ちたもみじはきっと、錦の織物の見えるだろう。

嵐さえも美しい歌に詠んでしまう、平安人たちの余裕というか、優雅さに脱帽です。

ついでにもう一つ。
吹くからに秋の草木にしをるれば むべ山風をあらしというらむ
 山から風が吹くと、すぐに秋の草木はしおれてしまう。だから山と風と書いて嵐というのかな。

ダジャレ? 嵐と荒らしも掛けてあったりと、当時はことば遊びも娯楽の一つだったわけです。

台風は英語で言えばタイフーンというのも、妙におかしいですよね。しかもタイフーンやハリケーンの名前を女性名の相性にするところは、アメリカ人のセンスの良さにも脱帽です。
 

2011年8月31日水曜日

夏の歌

今日で8月も終わりです。
今年も泳ぎませんでした。というか、海にさえ行かずに夏が終わりました。
このまま死ぬまで泳ぐことはないのかな……なんだかとってもさみしい気持ちになります。

百人一首の中には夏を詠んだ歌があります。

夏の夜はまだ宵ながら開けぬるを雲のいづこに月宿るなむ
 夏の夜は短くて、まだ宵のうちと思っていたが、いつの間にか夜が明けてしまった。これでは月も沈むひまがないだろう。雲のどのあたりにかくれているのだろうか。

昔の人にとって、夏とは短いことの代名詞でした。テレビもラジオもない時代のこと、夜の時間はいろいろな想像をめぐらせてくれたことでしょう。仕事がら、夜中に仕事をすることが多いわけで、夜中にさまざまなアイデアがわいてきます。
これからどんどん日が短くなります。夏の日差しよりも、秋の夜長をたのしむ、そんな年齢になったんですね。

2011年8月30日火曜日

女流歌人

百人一首では多くの女性の歌が選ばれている。
まだ女性の地位が低かった時代に、女性たちが表現の場をもっていた日本は、世界の中にあっても奇跡の国だったといってもいい過ぎではないだろう。
ただ「儀同三司の母」「右大将道綱の母」と名前がない女性作者もいるところが、女性の地位の低さを感じてしまう。
先日、新聞に河野裕子さんという歌人が紹介されていた。2010年に残念ながら亡くなってしまわれたが、すばらしい歌が残っている。
「しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ」
「朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの」
母親だから、詠める歌なのだろうと本当に思う。
「たとへば君 ガサッと落葉すくやうに私をさらって行つてはくれぬか」
恋愛の気持ちもまた、心を打つ。
女流歌人のすばらしさ、力強さを感じてしまう。

先ほど紹介した右大将道綱の母の歌を紹介しておこう。
「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」
 今夜もあなたは来てくれないのを嘆きながら、ひとり夜が明けるのを待つ間が、どれだけ長いか、あなたは知っているかしら。
受け身な存在ゆえ、女性の歌には切なさがあるのかもしれない。